浅草エリアの特徴

浅草といえば観光地、そして下町

浅草といえば東京屈指の観光地、海外からのお客様も多く訪れる地域です。
浅草寺に仲見世、浅草周辺は東京の中にありながらもなにか情緒を感じます。
江戸の風情を残す観光地として、海外の方にも高い人気を誇っていますし、お土産やご当地グルメも非常に多く、人気スポットです。

浅草、浅草寺の創建は628年、現在の隅田川である宮戸川で猟師の兄弟が網で仏像を引き上げたことからこの浅草寺の歴史が始まります。
浅草寺の御本尊はこの仏像、聖観音様です。
兄弟の主人が出家しこの像を自宅に拝した、そこを寺に改め浅草寺となったといわれています。

浅草寺の雷門をくぐると、大賑わいを見せる仲見世商店街、さらに宝蔵門、本堂・・・日本人が見ても圧倒される歴史的な建造物、海外の方が見て魅力を感じるのも無理はありません。

東京随一の繁華街になった理由

埋め立てによって陸地化が進んでいた江戸、この時代徳川家康が江戸に入り、江戸城の修復、緑地化をぐんぐん進めていきます。
浅草の東側は海、そこにある港に着目し、浅草、品川の港は物資運搬に大きく貢献します。
河川も現在よりずっと大きかったので、航海術の発達が進む以前は回路と並び重要な物流の手段となっていたのです。

江戸幕府によっていよいよ発展した浅草には、浅草御蔵(現在の蔵前)に大きな米蔵が建築され、その周辺には商店が一気に増加し、関東大震災・第二次世界大戦と様々な事がありましたが江戸情緒を残す街として見事復興し、今に至るのです。

東京下町に暮らしたい

東京下町に暮らしたいという願望をもって上京してくる若い世代もいるでしょう。
しかし東京下町とはどのあたりか理解されているでしょうか。
東京下町は明白な定義があるという事はありません。
下町という言葉は江戸時代に存在し、江戸(東京)においては、高台の武家地域を「山の手」、海や川に近い低地に近い方は町人が商売を盛んに行っており、その地域を下町と呼んでいたようです。

ただ現在は下町という区分が明確ではなく、浅草一帯を下町と呼んでいるという状態です。
浅草一帯のほか、亀戸天神の亀戸、向島百花縁の向島、もんじゃのお店がとても多い月島、深川めしで知られる深川、さらに神田、下谷など、下町というイメージです。

こうした街に暮らしたいという若い世代も非常に多く、レトロな雰囲気のある賃貸などもとても人気があります。
下町の古い住宅を賃貸としてリノベーションなどして、賃貸として貸している所も多くなっていて、下町、江戸情緒ある暮らしを浅草で楽しみたいという若い世代も非常に多くなっているのです。

東京にありながらご近所とのお使いが色濃く残るこの地では、今でも、隣のお宅におかずをおすそ分け・・・なんていう事が行われているのです。

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